三菱自動車工業株式会社 (みつびしじどうしゃこうぎょう、Mitsubishi Motors Corporation) は、三菱グループに属する日本の自動車製造者の一つで、1970年に三菱重工業から独立した。
かつては、ドイツに本拠を置くダイムラー・クライスラーと資本提携関係にあった。技術提携関係は現在も継続されている。
三菱車の中古車情報中古車購入に関する基礎知識や価格相場、買取査定などに関するページ。
三菱自動車オークション情報
2003年にトラックやバスなど大型車事業を分社化した。(左記のブランドに関しては三菱ふそうトラック・バスを参照)
モータースポーツ事業に力を注ぎ、世界ラリー選手権(WRC)やパリ・ダカール・ラリーに参戦し、総合優勝をはじめとした好成績を多く残している。「
ランサー」と「
パジェロ」はあまりにも有名である。また、Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)の親会社でもある。
自動車検査証では「三菱」と表記されるが、一般的な通称は「
三菱自動車」である。「
三菱自工」と略することもある(例・水島臨海鉄道の三菱自工前駅)。
1976〜1982年ごろまで、三菱のイニシャルであるアルファベットの“M”を模したエンブレムを付けていたが、
いすゞやホンダと間違えられがちだったため1980年代〜1990年代中ごろには英文社名からの略称「MMC」をシンボルマークとし、
スリーダイヤも消えていた時期もあったが(ふそうの中大型商業車のステアリングホイールにはちゃんとスリーダイヤが刻印されていた)、
インターネットでのドメイン名「mmc.co.jp」が同じ三菱グループの三菱マテリアルに先に使われたこともあって
現在MMCは欧文でのニュースリリース以外ではほとんど使われていない。
三菱自動車の新車値引き相場
購入情報
沿革
1870年 - 海運会社九十九(ツクモ)商会(後の三菱重工業)の自動車事業部門として誕生。
1893年2月 - 三菱合資会社を設立。
1917年10月 - 三菱造船として独立。
三菱造船神戸造船所で三菱A型乗用車製作。
1934年4月 - 三菱造船は三菱重工業に社名変更。
1950年1月 - 過度経済力集中排除法により東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業3社に分割され、自動車事業部門は中日本重工業となる。
9月 - 東日本重工業が、カイザー=フレーザーと技術提携し日本でのヘンリーJのCKD生産およびアジアへの販売権を取得。販売子会社東日本カイザーフレーザー社を設立。
1951年 - 東日本カイザーフレーザー社がヘンリーJ販売開始。
1952年 - ジープの製造を開始。
5月 - 日本国との平和条約により、三菱の商号や商標の使用も許され、東日本重工業、中日本重工業はそれぞれ三菱日本重工、新三菱重工業に社名変更。
1954年 - 三菱日本重工、本国での生産中止にともないヘンリーJ生産を終了。
1959年 - 軽3輪トラックの「レオ」を発売。
1960年 - 戦後初の自社開発乗用車、三菱500を発売。
1962年 - 軽自動車ミニカ発売
1964年6月 - 1950年に分割された3社が再び合併し、三菱重工業となる。
1969年 - コルトギャランを発売。
1970年2月 - 三菱重工業とクライスラーが合弁事業に関する契約締結。
1970年6月1日 - 三菱自動車工業として独立。
1971年 - 北米のクライスラーチャンネルでコルトギャランが販売される。
1973年 - 韓国の現代自動車と技術援助契約締結。ランサーを発売。
1974年 - 第22回サファリラリー優勝。
1978年 - 乗用車の第二販売チャネルとしてカープラザ店を設立。従来の販売チャネルはギャラン店へ。他社と違い、ディーラーの社名はどちらも「○○三菱自動車販売株式会社」なので、社名だけで見分けることはできなかった。
1981年 - 米国三菱自動車販売を設立。
1984年 - 三菱自動車販売を合併。
1985年 - アメリカ合衆国にダイヤモンド・スター・モーターズ(DSM)設立。
マレーシア政府との合弁会社プロトンの工場竣工。
第7回パリ・ダカールラリーでパジェロが総合優勝。
1988年 - 松任谷由実のコンサートツアーに協賛を開始。
1988年 - 東京・大阪・名古屋の証券取引市場第1部に株式上場。
1989年 - 岡崎研究所内に三菱オートギャラリーを開館。
1991年 - オランダ政府、スウェーデンのボルボとオランダで乗用車合弁生産契約に調印。NedCar(ネッド・カー)発足。
1992年 - 初代ランサーエボリューションを発売。
1993年 - パジェロがパリ・ダカールラリー総合優勝。
1994年5月 - ベトナムにプロトン等との合弁会社ビナスター・モーターズ(Vinastar Motors)を設立。
1996年 - GDIエンジンがRJCテクノロジー・オブ・ザ・イヤー受賞。
米国三菱自動車製造(MMMA)で大型のセクハラ訴訟がおこる。
1997年 - GDIエンジンが、日本自動車技術会賞/技術開発賞を受賞。
総会屋への利益供与事件を摘発
1998年 - ランサーエボリューションがWRC完全制覇。
1999年 - ボルボと資本・業務提携。
トミ・マキネンが前人未到WRC4年連続ドライバーズチャンピオンを達成、記念としてランサーエボリューションVIトミマキネンエディションを発売
2000年 - 道路運送車両法違反(リコール隠し)が発覚、河添社長が辞任。本社等の強制捜査を受ける。詳しくは三菱リコール隠しを参照。
10月18日 - ダイムラー・クライスラーと資本・業務提携。
2003年 - ギャラン店とカープラザ店が統合。
1月6日 - 大型車を三菱ふそうトラック・バスに事業を移管。
5月6日 - 本社が品川三菱ビル(現・品川グランドセントラルタワー、東京都港区港南)に移転。
2004年
3月9日 - プロトンの保有株式(7.93%)を全株売却し、資本提携を解消する。
4月 - ダイムラー・クライスラーが経営追加支援の中止を発表。三菱グループ主導で再建へ。再建計画では、京都への本社移転、岡崎工場の閉鎖、コンプライアンスの徹底などを訴えた。
三菱自動車の中古車情報
2005年
1月 - 赤字が拡大したことなどから、2004年に就任した一部の取締役陣が退任し、新取締役陣が就任。
1月17日 - 日産自動車との包括的な事業提携。日産にeKワゴン・スポーツ(日産名:オッティ)を新たに年間3万6000台の予定で供給することを発表。同時に2社で軽自動車製造の新会社創設説も浮上したが、撤回となった。
1月28日 - 新経営計画「三菱自動車再生計画」を発表。三菱グループの三菱重工業、三菱商事、東京三菱銀行に増資などの追加支援を要請。これによって三菱重工の出資比率が15%を超えるために持分法適用による連結対象会社となり、同社の傘下で再建を目指すこととなった。
2月4日 - フランスのPSA・プジョーシトロエン(PSA)に、日本で同年10月に発売されたアウトランダーを年間3万台規模でOEM供給すると発表。
11月11日 - ダイムラー・クライスラーが全株式を売却。資本関係の解消。
12月 - 市場低迷を理由に、中型・大型セダン市場から撤退。ギャラン、ディアマンテの国内生産・販売終了。
12月12日 - 三菱重工業の持分法連結会社となる。
12月14日 - 2006年度からWRCワークスチームの活動を経営再建に徹するため休止することを発表。
2006年
1月25日 - サンリオとの間でハローキティを宣伝や販促に使用するための包括的なライセンス契約の基本合意を締結。
5月9日 - ハローキティがハッピードライブ アンバサダー(大使)に就任。
5月19日 - 北海道日本ハムファイターズとスポンサーシップ契約を締結。
10月25日 - i(アイ)がグッドデザイン大賞受賞。[1]
11月14日 - i(アイ)が2007年次RJCカーオブザイヤー受賞。
2007年
1月5日 - 本社を品川グランドセントラルタワーから旧本社ビルであった第一田町ビル(東京都港区芝)へ再移転。
4月20日 - 中国に於けるブランドキャラクターとしてジャッキー・チェンを起用
4月26日 - 4年ぶりに2006年度当期利益の黒字転換を発表。
6月 - 軽乗用車でもっとも長い歴史を持っていたミニカ(5ナンバー車)の生産が終了。(4ナンバーのバンは継続)
7月1日 - 直系ディーラーの体系を全面的に見直し、越境合併を含む大幅な統合を行なった。
8月23日 - ギャランフォルティス発売。「ギャラン」の名が国内で復活。
スバルの新車見積
メーカーとしての原点を、戦前の航空機メーカー・中島飛行機に持ち、創業期に元航空技術者たちが自動車開発に携わってきたという歴史から、航空機に通じる機能性・合理性優先で、既成概念に囚われないユニークなメカニズムを特徴とする自動車を多く送り出してきた。そのスタンスは日本の自動車メーカーの中でも、特に技術至上主義の傾向が強い。
スバルの中古車買取
初期の自動車群
1958年 スバル・360
1966年 スバル・1000その初期の製品は、航空機開発によって培われたデザインポリシーにより、軽量かつ操縦性に優れスペース・ユーティリティをも満たした高度な設計が為され、市場をリードした。1954年に試作されたスバル・1500では、日本製乗用車として初のフル・モノコック構造を採用している。
1958年発売のスバル・360は、「国民車構想」[6]の内容に近い水準の自動車を、高度な技術で具現化したもので、「大人4人が乗れる初めての軽自動車」となり、日本人にとって自動車を身近なものにした。
1966年発売のスバル・1000では、縦置き水平対向エンジンによる前輪駆動レイアウトを採用し、以後、四輪駆動車を含む現行主力モデルに至るまでこれを踏襲している。またこの「スバル・1000」では、前輪駆動車にとっての重要部品である「等速ジョイント」の完成形の一つと言えるダブル・オフセット・ジョイント(D.O.J)をジョイントメーカーとの協力で世界初採用し、1970年代から世界的に盛んとなった小型車の前輪駆動化の潮流に先鞭をつけた。
プレオ(PLEO)は
富士重工業(
スバル)が生産しているセミ
トールワゴン型の
軽自動車でヴィヴィオの後継モデルである。 以前はグレードが豊富でクラシック調の「ネスタ」やフロントマスクを往年の名車、スバル360風にした「ニコット」などもあったが現在はグレードを整理し、ベーシックグレードのみになっている。 また、R2の原型となった車でもある。
スバルの中古車情報
エンジンは全て660ccの4気筒を採用。 エンジンはSOHC自然吸気エンジンのほか、 扱いやすさを重視したSOHCマイルドチャージエンジン、SOHCスーパーチャージャーエンジン、DOHCスーパーチャージャーエンジンがあったが 2004年1月の一部改良でいったんは自然吸気エンジンのみになったが2005年1月にSOHCマイルドチャージエンジンが復活している。 トランスミッションはMTのほかCVTがある。 クラス唯一の4輪独立懸架を採用し、全グレード前ブレーキにベンチレーテッドディスクブレーキを採用。走りを意識している。
スバル車の情報